2008年01月12日

篤姫(あつひめ)__05

正室の奥泊りも年に1、2度に過ぎなかったという。このため家定いえさだ/堺 雅人)についてはついにひとりの子もなく、将来ともその望みは持てなかった。加えての虚弱さのため、激動する幕末の非常時に対処する最高責任者としてふさわしくなかった。このため早くからその後継者が問題になっていた。将軍の後継者問題となれば、まず御三家、御三卿が考えられる。

御三家からは紀伊藩徳川慶福よしとみ/松田翔太)、尾張藩徳川慶勝(よしかつ)、水戸藩慶篤(よしあつ)であり、御三卿からは清水家には当時男子しがなく、田安家の田安慶頼(よしより)、一橋家の一橋慶喜よしのぶ/平 岳大)の5人が将軍職の候補だった。
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